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2月25日はエドサ革命記念日、フィリピンの政治史でとても大事な日*

2月25日(土)は、People Power Revolution(エドサ革命記念日)で国際祝日でした。

この日は、フィリピンに真の民主主義が確立した日とも言われており、

フィリピンのこれまでの政治の中でも、とても大事な日となっています。

 

 

日本では、政治への関心が薄い人が多いなどと言われ、

これまでの総理大臣の名前を全部言える人にはなかなか会えませんが、

フィリピンではほとんどの人がこれまでの大統領の名前を言えますし、

大統領選の投票率も80%という高さです。

 

普段の会話の話題に、大統領や政治家の発言、これまでの大統領との比較

などがあがってくることもしばしばです。

 

フィリピンの歴代大統領の中には、汚職罪で捕まったり、

牢屋に入り、任期途中で交代になった大統領もいます。

友人などと話をする中でコメントを聞いていると、

任期を終えた後にも、あの大統領は良い大統領だったと

国民に高く評価されている大統領はあまりいないように

思います。

 

そんな中でも任期を終えた今でも負の歴史として語られる

大統領が一人います。

 

先日ご紹介したイントラムロスに歴代大統領の石碑が飾られていますが、

Marcos_2.jpg

 

 

一人かけているのが、そうです。

(数年前まであったので、最近取り除かれたようです。)

 

Marcos.jpg

第9代マカパガル大統領と

第11代アキノ大統領(第15代の母)の間に大統領を務めた

第10代マルコス大統領です。

 

マルコスが負の歴史人物として語られる理由は、独裁政権にあります。

フィリピンでは大統領の任期は6年ですが、マルコスは裏操作をし、

なんと20年間大統領として居座りました。

また、その間、戒厳令を布告し、憲法に効力を持たせなくし、

独裁政治に踏み出しました。

 

この独裁政治に反対した野党の政治家たちは命の危険性から

アメリカなどの海外へ逃亡を余儀なくされ、その中の一人で

あったニノイ・アキノが独裁政治終結の鍵を握ることになります。

 

ニノイ・アキノは、大統領選挙への立候補を行うため、

命の危険を脅かされていたにも関わらず勇気を持ち、

フィリピンへの帰国をしましたが、マニラ空港に到着後、

射殺されました。

マニラ空港が今でもニノイ・アキノ国際空港(略称NAIA)

と名づけられているのは、この事件のためです。

 

ニノイ・アキノの妻であったコリー・アキノが悲しみから

立ち上がり、殺害された次期大統領有力候補の夫に代わって、

大統領選に出馬することを決意しました。

 

1986年の大統領選挙で、コリー・アキノはマルコスより多くの

投票を得たとされたものの、マルコスは開示操作を行い、

160万票差でマルコスが当選したと発表しました。

 

これにより、国民の怒りは大爆発し、メトロマニラの中心を走る

エドサ通りに100万人もの人々が集まり、抗議運動を行いました。

これにより、マルコスの発表は無効とされ、コリー・アキノが

大統領として就任したのです。

 

マルコスはというと、ハワイへ逃亡し、そのままハワイで一生を終えたそうです。

何だかハワイというと憧れの地で、本当に罪償いをしたのか疑わしいですが。

 

ちなみに、ドゥテルテ大統領の前に大統領を務めたノイノイ・アキノ大統領は、

射殺されたニノイ・アキノと大統領となったコリー・アキノの子供です。

 

この尊い命を引き換えに、フィリピンの民主主義は生まれたのでした。

た。

著者プロフィール

著者イラスト

ペンネーム: レッチェフラン
学生時代に20カ国を旅した後、何度も帰ってくるようになった一番好きな国フィリピンに7回目の渡航でついに移住。バギオ⇒セブ⇒マニラと2度引越しをし、マニラ在住。初対面の人に100%タガログ語で話しかけられるフィリピン人容姿・振舞いを習得済。明るいフィリピン人に囲まれて、ハプニングだらけな刺激ある毎日を楽しく生きています。趣味はズンバ(ダンス)と読書。

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