こんにちは!前回はオルモックシティにある戦没者慰霊碑についてお話させていただきました。今回も引き続き、オルモックに残るレイテ戦時の痕跡についてご紹介させていただきます。
オルモック滞在中、多くのフィリピン人に「Japanese houseがあるんだよ」と言われました。「そこに日本兵がいた」と言われ、フィリピン人の友人に連れて行ってもらえないかとたずねると、思いの外近くにありました。それが通称「コンクリートハウス」と呼ばれている立石大隊の戦跡でした。
工場のようなところを入っていくとポツンと建っているのが「コンクリートハウス」です。
もともとレイテ島出身の国会議員の邸宅だったこの家に、第26師団の立石大隊がこの家に立てこもり、抵抗していたとのことです。
1944年12月8日頃からオルモックでの攻防戦が開始。13日にこの建物は砲撃され、14日に立石大隊約250名は全滅したといいます。
本当に何も手を加えられず、そのまま残されています。砲撃の跡が戦争の悲惨さを物語っていました。
私は20歳で、祖母がたまに戦争について口を開くとき、学校の教科書で、しか知りません。こんなにも目の前に感じられたのははじめてでした。それでも、正直ここで人が戦っていた、亡くなったことが信じられません。
先日、フィリピン人で学校の先生をしている知り合いから、「日本人が学校に寄付や支援をしてくれている」と聞きました。そのかたの名前を調べてみたところ、遺骨収集を行っている方でした。遺骨収集についてはたくさん情報があるものの、その方がフィリピンの学校に対して支援を行っている情報は少なかったです。
私たちが今フィリピンにこうやって来られるのは、過去に起きたことから目を背けず向かい合っている方がいて、それを次の世代に投げかけてくださっているからなんだと痛感しています。私たち若い世代がそのバトンを受け継いでいかなければと思いました。
(ぴなこ)