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ラプラプとマゼランの激戦の地、マクタンシュラインを見学しよう。

高級ホテルが軒を連ねる世界屈指のリゾート、「マクタン島」ですが、実は歴史や文化にも歴史が深い場所です。セブ島よりも田舎な雰囲気がありながら、国際空港を持ち、現在は島を一周する「ハイウェイ」と呼ばれる道幅の拡張工事も行われるなど、発展著しいマクタンですが、現地では知らない人はいないという、ラプラプ王とマゼランの激戦地、マクタンシュラインの歴史に迫ってみましょう。



ラプラプ王とはマクタン島の王様です。
セブの王様と勘違いされてしまうことが多いようですが、
ラプラプはマクタン島を統治していた人物です。

現在筆者も住んでいるマクタン島には、ラプラプという大きな町があります。
1500年代に生きた王様の名前は、今もこの島に残り続けているのです。

 

 

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対してマゼランは、日本では高校の歴史教科書にも載るほど有名な世界一周を航海で目指した冒険家です。ポルトガル出身で、コロンブスなどに並んで有名な人物です。

 

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マゼランは世界一周の航海中、セブに上陸します。この地域には香辛料を探しに来ていたという話や、マゼランの奴隷であった人物がマレー語を話すため、その文化圏内に入ることを目的に移動していた説などがあるようです。到着後マゼランたちはキリスト教の布教を行います。

この時セブの王様の娘に授けたのは、
サントニーニョ教会にある「サントニーニョ像」と言われています。

 

この地域の布教を広めたいマゼランは、力を持っていたセブの王様と親密になっていき、隣の島であるマクタン島にも布教を広めようとします。それまで上手くいっていた布教活動が少しづつ鈍化してきたのはこの頃だったそうで、マゼランたちが武器をちらつかせることもあったといいます。

そして最終的にはマゼランが力でマクタン島を制圧するため、襲撃を行います。
その際マクタン島の王であるラプラプは、
「戦いを受けて立つので、午前中に来るように」と伝えたそうです。

 

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1561年4月27日、マゼラン一行はついに攻めに転じます。
指定された午前中に60人程度の精鋭を集めマクタン島のプントエンガーニョ付近に船を停泊させました。

しかしこの時点で既にラプラプ王は策略を打っていました。

この日の午前中は引潮で、
遠浅であるプントエンガーニョ付近は遠くまで海水が引いていたのです。

マゼランたちの船は海の遠くに停泊せざるを得ず、彼らの船に装備されていた大砲の射程距離では、内陸はおろか浜にも球が届かなかったのです。これによりマゼランの軍は下船を余儀なくされ、甲冑に身をまとった重い装備で戦場へ向かいます。

更にはマゼラン一行の装備であったブーツに海水が流れこむことによって、移動が上手くできず、戦闘にかなりの支障があったと言われています。ラプラプ王は地の利を活かして、劣勢を逆転したのです。

戦闘の最中、ラプラプ王側はふんどしのような装備に、もりのようなもので敵を撃ちます。

マゼラン一行は鉄の鎧をまとっていたため、最初は攻撃が効かなかったのですが、鉄が入っていない足元をラプラプ軍が狙い始めると一気に形勢が決まり、マゼランはここで戦死します。

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現在プントエンガーニョ地区に入る前、シャングリラマクタンホテルのすぐ近く「マクタンシュライン」と呼ばれる場所があります。ここには戦いの記録を刻む石碑やラプラプ王の巨大な石像があり、その像の奥が実際に戦場となった地と言われ、現代まで語り継がれています。

確かに周辺の海を見てみると非常に水深が浅く、引潮の際にはボートが出せなくなります。またマングローブ林が一体に広がっていることからも、その水深と海水の動きを読み取ることができます。

 

 

観光地として有名な「マゼラン・クロス」「サントニーニョ教会」はこれらの歴史に深く関係しており、「マクタンシュライン」もその場所の一つとして多くの観光客が訪れる場所となっています。

筆者の家はマクタンシュラインからほど近いのですが、修学旅行のようなフィリピンの学生の皆さんが、団体で見学に来ている様子をよく見かけます。

今月末にはこの戦いを記念した祭典も開かれるそうです。

 

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ちなみにこのマクタンシュラインはセブのお土産が安く購入でき、
入場料などもないため、観光地としてもお得な場所ですよ。

 

マクタン島に訪れる機会があれば、是非一度足を運んでみてくださいね!

(Photo via Pichori

(タク)

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