【イントラムロス】黒い歴史を見てきた要塞「フォートサンチャゴ」* | フィリピン最新情報ブログ

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【イントラムロス】黒い歴史を見てきた要塞「フォートサンチャゴ」*

「イントラムロス」は、スペイン語で「壁に囲まれた街」という意味です。

日本の戦国時代に建てられたお城などもそうであるように、

敵に攻め込まれにくいように壁で囲まれる設計にされたそうです。

 

その中でも、一番重要な場所だったといわれるのが、フォートサンチャゴ。

フォートとは英語で要塞(ようさい)のことを指します。

 

「要塞」というとあまり聞き慣れない言葉ですが、

敵から戦略上重要な地点を守る為に築かれた構築物のことです。

 

フォートサンチャゴの入場料は子供・学生50ペソ、大人75ペソ

FortSantiago_Entrance.jpg

入り口にある受付で支払って、中に入ります。

フォートボニファシオは、400年以上前の1590年に

建設が開始され、3年後の1593年に完成しました。

 

FortSantiago_Garden.jpg

フォートボニファシオ内の建物からは長~い歴史が

感じられます。

FortSantiago_House.jpg

フォートボニファシオは以前、牢獄としても利用されていて、

先日、「リサール公園」のブログでご紹介したフィリピンの

国民英雄ホセ・リサールが独立運動を鎮圧され、処刑される前に

過ごした場所でもあります。

 

現在は、リサール記念館がつくられ、処刑前にホセ・リサールが

着ていた服や机などが展示されています。

中でも是非注目していただきたいのが、リサールの恋人だった女性の肖像画。

実は、リサールの恋人は「おせいさん」という愛称の日本人女性だったのです。

 

 

リサールが銃殺処刑された1896年から約50年後、

もう一つフォートサンチャゴで、歴史に残る大きな事件が起きました。

第二次世界大戦中にはアメリカ軍と日本軍の激しい戦いが

このイントラムロスで繰り広げられていました。

FortSantiago_Gun.jpg

当時、日本軍が占領していたこのフォートボニファシオで、

日本軍が何百人ものフィリピン人を水面下の地下牢に閉じ込め、

満潮時に水死させたのです。

 

 

悲しい話ですが、そんな過去を知っていながらも

日本人に優しくおもてなしをしてくれるフィリピン人に

感謝したいものです。

 

フォートボニファシオ内には、複数の撮影スポットもありました。

 

FortSantiago_Bench.jpg

日本とフィリピンの歴史を知るためにも、是非、

足を運んでみてください!*

著者プロフィール

著者イラスト

ペンネーム: レッチェフラン
学生時代に20カ国を旅した後、何度も帰ってくるようになった一番好きな国フィリピンに7回目の渡航でついに移住。バギオ⇒セブ⇒マニラと2度引越しをし、マニラ在住。初対面の人に100%タガログ語で話しかけられるフィリピン人容姿・振舞いを習得済。明るいフィリピン人に囲まれて、ハプニングだらけな刺激ある毎日を楽しく生きています。趣味はズンバ(ダンス)と読書。

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