第二次世界大戦で中、日本軍とアメリカ軍が
フィリピンでも戦争をしたというお話は
イントラムロス観光の際にしましたが、
その中でもフィリピンで今も語り継がれている
日本兵の悪態が「バターン死の行進」です。
バターンは、マニラより車で2時間ほど北上した場所にある
場所の地名で、このバターンからターラック州カパスの収容所
を目指して、約100kmの道のりをアメリカ兵とフィリピン人市民を
徒歩でご飯も与えず、時に殴るなどして歩かせたと言われています。
本日は、クリスマス明けですが、ずっと行きたいと思っていた
場所に年内に行っておこうと、
「バターン死の行進」の終点地点カパスに作られた遺産
「カパス・ナショナル・シュライン(Capas National Shrine)」
を訪れました。
カパス・ナショナル・シュラインは、コリー・アキノ大統領
(ドゥテルテ大統領前の大統領ノイノイ・アキノ大統領の母)
主導のもと、バターン死の行進1942年4月9日から
61年経った2003年4月9日に公開されました。
入場料はフィリピン人が20ペソ(=約50円)
外国人が40ペソ(=約100円)で、車で中に入る場合は
車の大きさによって追加料金がかかります。
中に入ると、広大な土地に木々が生い茂っていますが、
ここに植えられた30,000本の木はバターン死の行進で
尊い命を失ったフィリピン人とアメリカ兵約30,000人
に捧げられたものだそうです。
バターン死の行進に参加したのは、フィリピン人66,000人と
アメリカ兵9,900人。
そのうち、 フィリピン人2500人とアメリカ兵500人が
カパスへたどり着く前に亡くなり、到着後の捕虜生活の中で
フィリピン人26,000人とアメリカ兵1,500人が亡くなったと
言われています。
大きなシュラインの周りを囲うようにつくられた壁には
バターン死の行進に参加した数万人の名前が刻まれていて、
私が訪れた際に来ていたフィリピン人の中にはその中から
自分の祖先を探しているように名前を見つめている人も
いました。
日本の学校では、第二次世界大戦と言えば、
ヒロシマ・ナガサキに落とされた原爆のことは繰り返し
教えられますが、日本兵がフィリピンを含めアジアで
したことはあまり教えられません。
「バターン死の行進」については、高校で歴史を選択すると、
出てくるらしいですが、日本人は否定的な見解を示している人も
多いようです。
カパス・ナショナル・シュラインの脇にアメリカ兵のお墓もあります。
歴史はある意味物語のようなもので、物語は勝者が語る。
という説にも一理あるかもしれませんが、
74年前、日本兵がここフィリピンに来て、アメリカ兵と
戦争をし、フィリピン人の尊い命まで奪ってしまったこと
自体は事実のようです。
当時のフィリピン人と日本人の関係を考えると、
今、こうして日本人がビーチ休暇や観光でフィリピンに
来て、フィリピン人と一緒に笑って楽しい時間を過ごせる
ことはとても幸せなことなんだなぁ、としみじみ思います。
イントラムロス・カパスは命を落としたフィリピン人に
フォーカスされた記念碑、遺産ですが、
日本兵も50万人以上がフィリピンで亡くなったそうです。
来年は、日本兵の遺産も訪問してみたいと思います。
**カパス・ナショナル・シュラインへの行き方**
メトロマニラ内パサイ市もしくはケソン市クバオにある
ビクトリーライナー(Victory Liner)というバス会社の
ターミナルから、バギオ(Baguio)行きのバスに乗り、
カパス(Capas)で下車します。
セブンイレブンの前にトライシクルが止まっているので、
カパス・ナショナル・シュラインと伝えると50~75ペソで
行ってくれます。